子沢山かあちゃんの牛歩

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クリックで救える命がある。

めっちゃ眠い

目の下すごいくま状態。ちょっと今日はお疲れモード。にもかかわらず、書き書きしてみることにします。

 

ここ最近、小・中学生のライン事情を知る機会が何度かあり、私の若かりし頃にはそんな便利なものはなかったのになあ〜と思いながら以下のような写真をツィッターに貼り付けました。

https://twitter.com/dw335224/status/817640153791352841

https://twitter.com/dw335224/status/817643874071900160

https://twitter.com/dw335224/status/817643622950531072

https://twitter.com/dw335224/status/817642949844422660

https://twitter.com/dw335224/status/817641217764659200

これ実は、二十うん年前の同級生の呟きなんです。

 

みんな今は交友関係はない相手の書き込みなんです。私が地元にずっーと住んでいたならば、かつての旧友とも再会する機会があるのでしょう。でも今私は、縁もゆかりもない夫の地元で子育てしていて、会う人会う人、過去を知らない人ばかりなんです。

 

でも私もかなりの経験を積み重ねてきて、人の過去を知ろうとすることは、一切やめました。何故ならば、自分の過去のストーリーを、人様に自慢できるかというとそうではなく、ちっぽけな自分のありのままの姿を自覚したからなのです。

 

それはそれは沢山の人の毒を受け止めてもきましたし、自分の毒も吐き出しもしてきました。40手前にもなると、透明な自分を誇示できなくなるんですよね。もうこれ以上、人を傷つけたくないし、自分も傷つきたくない。邪鬼を感じる人からは距離をおき、人とのトラブルも表面化させないようにまるくおさめましょうという心地になるわけなんですよ。

 

多分私の心境に親近感わく人はいるとは思います。子育てで、思い通りにはならない敗北感を多く経験しているベテランの親たちです。PTAの現場で他の親御さんと、同じ時間を共有していて思うのは、分かっている親は何も口にしないけれども、連帯感を感じることができるということなんですよ。そして一連の流れを経験してきている親同士は深入りもしない。それも口にはしないけれども、阿吽の呼吸なんですよ。

 

今日は時間がないので、blogもここまでです。何故30年近く前の旧友のプロフィール帳の書き込みをツィッターにアップしたのかを、昨今の中高生のライン事情のことに関連づけて、また後日に書き込みします。写真アップしたのはごく一部であり、名前は明かしてないから、本人特定はされないことを見越しました。

 

 

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