読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

子沢山かあちゃんの牛歩

子育てや庭いじり。日々徒然。

広告

高校時代の知人からの年賀状

広告

以前会ったのはいつだっただろう。いつ会ったかも思い出せない高校時代の友人から年賀状の便りが届く。25歳頃に一度高校の同窓会があった。私が参加した最初で最後の同窓会。それからFacebookが普及しはじめて、何人かの同窓生とネット上で再会した。なんだかその時に、人間関係がギクシャクしたような気がする。誰にも聞いたわけではないけど、なんだか精神的にかなり消耗したのだ。それからはFacebookもやめた。今日届いた年賀状の旧友とは、当時Facebookでは繋がらなかった。その旧友のコメントに「Facebookしてないの?」と記されてあった。周りとかなり遅れをとっている彼女の参入に、またはじまったなあと、Facebook以外のSNSヘビーユーザーの私は、頭の中で思ってしまう。

 

先に書き込みしたように、私は自分から年賀状を投函する行為を、今年からやめることにした。頂いたお年賀に対してだけお返事はしようとは思う。地元で子育てしていたら、共通の友達を通じて同窓生とすぐに繋がってしまうから、同窓生とお付き合いもせざるを得なくなる。でも私の生活拠点は地元ではない。年賀状でだけしか繋がらない同窓生と何のために会う必要があるのか、その意図が分からない。義親やママ友など、付き合っていかない人とは、会う気もするけれど、それ以外の人とは会いたいという気力がわかない。

 

ツィッターでは同窓会裏事情が垣間見れて、とても共感できる。参加して見えるヒエラルキーや、ちやほやされる人と、相手にはされない人。同窓会の場を営業に利用する人。そこでは既に派閥も出来上がっている。しんどい思いをすることは分かっているから、まず行きたいとも思わない。

 

無邪気だったあの時のような心では、うん10年も前の同窓生と再会できない。毎年交流を重ねてきているのなら、会うことも苦にはならないだろう。でも会わない期間が長すぎて、どんな顔して、どんな格好で会えばいいのかも分からない。

 

こんな風な私だから、この先友人の数も減っていくとは思う。ただ年賀状でだけ繋がる友人は、友人と定義できるのか?とは思ってしまう。ひきこもり主婦にとって、頼りになるのは、地域の子育て情報なんかを知らせてくれるママ友位かなとは思うから、数少ないママ友とは付かず離れずの関係性を築いていけたらとは思う。

 

 

広告