子沢山かあちゃんの牛歩

子育てや庭いじり。日々徒然。

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泣けるBlog

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泣けるBlogを読んでしまった。こんな時間帯に泣くと、明日目が腫れそうでいやだ。もやもやした気持ちを整理したいから、Blogを書き書きしようと思った。相手が誰かも分かんないし、その人が見せる、ごく一部分を知っただけなのに、何故か感情移入してしまう。

 

バックグラウンドの分かっているリアル知り合いだと、かえって相手の話にスーッと入りこめないかもしれない。Blog界隈では、ブロガーの方々が吐露した言葉を、相手に気兼ねすることなく、容易に拾うことができるから、気が楽だ。相互コミュニケーションの要素が強いSNSよりは、書き手は表現したいことを一方通行に発信でき、読み手は本のページをめくるように、気軽に相手の心の機微を読むことができる。だからといって書き手と読み手である私の距離が縮まった訳でもなく、そもそも相手は見ず知らずの他人なのだ。

 

ネットに依存するようになり、リアルで人間関係を積極的に構築する努力をしなくなった。子育てする中で、他の親御さんとお付き合いしないといけない事もある。以前の私はママ友との頻回ランチや家の行き来などの濃い付き合い方もしたことはあったけれど、今はそんな時間があるならばネットにアクセスしたくなる。

 

リアル知り合いと深い付き合いをするとなると、余程気を配らなければ長続きはしない。その関係性が深ければ深いほど、仲違いした時の反動は大きくなる。もう人を恨みたくないし、恨まれたくもない。そのためには存在感を消した方が無難だ。こんな出不精な妻でも、家庭という船が海に漕ぎ出せるのは、夫のおかげでもあるから、御の字だ。

 

兄が癌になり、手術したけれど再発して、迫り来る死を自覚するようになってから、子供の写真をあまり撮らなくなった。それまでは子供達の成長の軌跡を残そうと、せっせと写真を撮り、現像してアルバムにしていたのに、そんな気がおこらなくなったのだ。たまに撮ることはあったとしてもメディアに残しっぱなしで、その整理もできていない。ここ数年の写真の記録ががっぽり抜けてしまっている。

 

次男が二分の一成人式に使うとかで、赤ちゃんの頃と小1の写真が欲しいといってきた。赤ちゃんの時のものは見つけたけれど、小1の時のものが見当たらなかった。そこで当時入部していたスポ少のホームページにアクセスし、過去の日記から次男を見つけて画像をアイフォンに保存し、カメラのキタムラに現像しにいった。スポ少によってはホームページがなかったりするし、写真をアップしたとしても、更新されると過去の記録に辿れなかったりするから、助かったと思った。

 

Blogの更新やツィッターを見ることは、私の中では優先順位が高い行動になってしまっている。そんな時間があるならば、子供達の写真の整理をしたらと思われるかもしれないが、どっぷり依存してしまっているから、今は現状維持。依存することで精神の均衡を保っているのかもしれない。

 

 

 

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