子沢山かあちゃんの牛歩

子育てや庭いじり。日々徒然。

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父の研究室

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自宅から歩いて5分位の場所に、父の職場があった。父は教員だったから、職場は学校。二階の角っこに、父の研究室があった。廊下も室内も薄暗く、研究室の備品は、灰色のスチール製の机や棚。殺風景だった研究室はいつも、コーヒーの匂いで充満していた。父が好んで買っていたコーヒー粉はUCCのブルーの缶。かなり愛用していたのか、クーポンが沢山たまっていた。父はヘビースモーカーでもあり、換気扇の前でマイルドセブンを吸う父の姿は記憶にある。

 

50代位だっただろうか?足の静脈炎になってから、父は禁煙した。禁煙したとしても、長年の喫煙習慣のせいか、父は今心臓の調子がよくない。事後報告だけど、昨年心臓のカテーテル手術を受けたらしい。今は時折、狭心発作を起こしてニトロを使っている。一人暮らしで何かあったら困るから、アルソックの高齢者見守りサポートを利用したらとすすめたのだが、本人は拒んでいる。何かあった時の覚悟はできているらしい。

 

父はしっかりしすぎていて、体は弱っていても、子供達に甘えたくないのだとは思う。母は父と正反対だった。周囲を搔きまわすタイプ。自分の行動が、どれだけ周りに迷惑になるかの自覚なく、動いてしまう。父は長年、そんな母の尻拭いばかりをしていた。父は母に対してそう思っているのだけど、母は父に対して被害者意識を持っている。父は融通がきかない面もあるが、一線を超えない。母は、超えてはいけない線を超えてしまう。

 

私は自分の事は棚に上げて、人の事を許せなかったりするけれど、父は自分の事もしっかりしすぎて、人の許せない行為に目をつぶれない。だからといって、人に表立って強要したりはしないけれども、先を見越して先回りして動く。

 

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 父が実家を手放す前に、大切にしていた留学時代に使っていた計算機や、昔の家族の写真をデジタル化したものを次から次へと送ってきて、最後に私が父に送った昔の手紙や、孫の写真や成人式に父と写した写真など送られてきた。いつ心筋梗塞になり亡くなるか分からないという危機感から、父は身辺整理をしているのだとは思う。長生きできるかもしれないし、急にその時はくるかもしれない。心臓の病気は、そういった意味で、予測がつかずに怖いとは思う。

 

兄が亡くなり、父は登山に励んだ。頂上に登った時には、先立ってしまった息子に語りかけていたのかもしれない。父と母が離婚してまもなく、向こう見ずな母が子供達に相談もなく再婚してしまい、私はヒステリックになり、父に暴言メールを沢山送ってしまった。私もしんどかったけれど、一番しんどい思いをしていたのは父だっただろうに、その父の傷口に塩を塗りこむような事をしてしまった。体が大分弱っている事が分かっていたのなら、父を労ろうとしただろうに…。そんな大変な状況にあることを、父は子供達には告げていなかったのだ。

 

心臓を患う前に父は、ヘルニアになり、大好きな登山が出来なくなった事が、最大のストレスとは言っていた。兄が生きていて、全てがうまくまわっていた時には、この時期になると出回る文旦を、父によく送った。父は文旦を気に入ってくれ、喜んでくれた。久しぶりに文旦を探して送ってあげようとは考えてはいる。

 

子供は親のかすがいと言うが、老齢の親も子供達にとってはかすがいにはなると思う。私の双子の姉の夫は、2人兄弟。母親は10年弱前に亡くなり、その後を追うように父親も亡くなった。元々姉の夫は兄弟仲もあまりよくなかったこともあり、今は兄家族とは疎遠になっているようだ。姉夫が親戚づきあいを苦手としているから、妻側の親戚とも積極的に付き合おうとはしない。家族は主人の価値観で、その有様も変わってはくる。家族を、核家族とみるのか、親の親兄弟も含めた親戚も家族とみるのか。私の実家の主人である父が亡くなった後、おそらく私の実家側の親戚はバラバラとなり、各家族が独立した形で、寄り添う事はしなくなるとは思う。成り行きではあるが、無常を感じる。

 

 

 

 

 

 

 

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